| Ⅰ 馬上蛎崎神社 Ⅱ 栗駒神変大菩薩 Ⅲ 刈田嶺神社奥宮、刈田嶺神社里宮、刈田嶺神社(白鳥大明神) Ⅳ 金峰山蔵王寺 |
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| Ⅰ 馬上蛎崎神社…仙台市青葉区片平1-2-18。良覚院跡。 「蛎」(かき)と記した漢字は、案内板では「蛎」の右に「力」が 加わったものである。 良覚院丁公園の一角に馬上蛎崎神社がある。神社の鳥居をくぐると、左手に丸彫りの役行者、前鬼、後鬼の石像が祀られている。役行者の石像は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。若々しい丸みを帯びた顔の役行者は、品がよく、慈悲深い表情をしている。【写真】(2011/09) 役行者像前の石碑(株式会社間組仙台支店が昭和四十二年に建てたもの)には、次のように説明がされている。 平安朝の初め頃天台・真言二宗の密教と我国固有の山岳信仰が結びついて修験道という宗教が起った。その行者を験者または客僧とも山伏ともいゝ高き霊山に参龍修行した。平安朝末期頃からは当山派と本山派に分れて栄えさらに諸国を自由に巡行する特権をもっていたので軍事にも政治にも関与したが平時は祈祷に従事した。仙台藩の山伏は現在の良覚院丁公園内にあった良覚院が、総触頭で町名も之に因んでいる。この石像は修験道の開祖役小角で役行者ともいゝ、奈良朝の頃大和葛城山に苦行し霊験を得たという。後に神変大菩薩の勅号を贈られ人々に深く信仰された。前鬼後鬼と共に、もと良覚院に安置されていたものである |
| Ⅱ 栗駒神変大菩薩…宮城県栗原市花山本沢岳山1-11。 湯浜温泉三浦旅館の役行者堂に、役行者の石像が祀られている。 もともと栗駒山の南麓、仙北街道(湯浜道路)から栗駒山に登る(大地森[湯ノ森]コース)分岐・世界谷地変則十字路に祀られていた役行者の石像が、その後、朽ちた鳥居のあった895m三角点の祠に祀られ、現在は、湯浜温泉の役行者堂に祀られている。宝暦十年(1760)の銘があるという。(2001/11) |
| Ⅲ 刈田嶺神社奥宮、刈田嶺神社里宮、刈田嶺神社(白鳥大明神)…宮城県刈田郡蔵王町。(2011/09、2013/10) 刈田岳山頂、遠刈田温泉、宮地区にある「刈田嶺神社」について、蔵王町の歴史と文化財の公式ホームページ「dokitan.comどきたんドットコム」歴史コラム「刈田嶺神社(1~3)」(2009年5月3日、5月28日、7月3日)を参照すれば、以下のように要約できようか。 奈良時代、刈田嶺の神様を祀る社=刈田嶺神社は、刈田岳の火山活動が活溌であったことなどから、蔵王連峰の東に位置する青麻山の山頂におかれた。 そして平安時代初頭には、より人里に近くて便利な青麻山東麓に遷座し、さらに戦国時代中期には笹谷街道沿線に遷され、いつしかこの村が「宮村」と呼ばれるようになったのだと伝えられているという。これが、現在、蔵王町宮字馬場の地に鎮座する「刈田嶺神社」の沿革だという。 遠刈田温泉あるいは刈田岳山頂の刈田嶺神社は、修験道と関わりを由緒に持っているという。 奈良時代から平安時代の初頭、修験の開祖である役行者の叔父・願行は、刈田岳山頂に吉野金峯山寺蔵王堂の祭神である蔵王大権現を分祀し、願行の死後、平安時代に青麻山の東麓に願行寺が建立され、「願行寺四十八坊」といわれるほどであった。そして願行寺の修験者たちが道場とした山を、蔵王大権現を祀ったので「蔵王山」とよんだ。しかし戦国時代末期(16世紀後期)まで存続したのはわずかに三坊だけという状態であった。 存続した三坊のひとつが「嶽之坊」で、遠刈田温泉に所在し、「金峯山蔵王寺嶽之坊」と号する真言宗の寺院となって存続していた。そして刈田岳山頂の蔵王大権現社と、遠刈田温泉の蔵王大権現社(「蔵王大権現御旅宮」)を管理していたという。 「神仏分離令」によって、明治2年(1869)7月、「蔵王大権現」は「蔵王大神」へと改号し、さらに同年9月、「蔵王大神」は「天水分神・国水分神」であるとして、社号が「水分神社」となった。また嶽之坊も、蔵王大権現社=水分神社と合一したようである。その後、明治8年(1875)、水分神社は「刈田嶺神社」へと改号し、遷座させる祭神は「蔵王大権現」から「天水分神・国水分神」へと変わったが、毎年夏場には、山頂の「刈田嶺神社奥宮」に、冬場には遠刈田温泉の「刈田嶺神社郷宮」にと遷座した。そして現在のように刈田嶺神社奥宮、刈田嶺神社里宮となったのである。 なお刈田嶺神社(白鳥大明神)については、上で述べたように、もともと刈田嶺神社と呼ばれたが、延暦二十年(八〇一)西山の若宮に遷宮されて白鳥大明神の名号を与えられことによる。ただし明治時代に刈田嶺神社の名号に復した。(『蔵王町史 民俗生活編』参照) |
| Ⅳ 金峰山蔵王寺…宮城県刈田郡蔵王町字倉石岳国有林賽の磧(蔵王エコーライン中腹) 金峰山蔵王寺のホームページによれば、由緒は以下のようである。 「當山は海抜1,250米に位置し、日本で有数の高地にある山岳寺院であります。白鳳時代に山岳仏教の開祖、役の小角『神変大菩薩』の開山で、とくに地蔵信仰の中心地をなし、賽の磧供養の歴史は約600年前(室町時代)から始まり 又、祈願処としては約一千数百年前になります。……」(2001/05、2011/09)。 |
