役行者を巡る【秋田】

     Ⅰ 太平山
   Ⅱ 明永山熊野神社
   Ⅲ 圓浄寺
   Ⅳ 金峰神社
   Ⅴ 鳥海山
太平山  太平山(たいへいざん)は、秋田県北秋田郡上小阿仁村、秋田市仁別、秋田市河辺三内にまたがる。標高は1170.2mである。山頂には、太平山三吉神社奥宮がある。(2008/08)
 太平山三吉神社総本宮(里宮)は、秋田市広面字赤沼3-2にある。 太平山三吉神社総本宮の由緒によれば、「霊峰太平山に祀る当社は天武天皇の白鳳二年(六四六年)五月、役行者小角の創建と伝えられ、桓武天皇延暦二十年(八〇一年)征夷大将軍坂上田村麿が東夷征討の際戦勝を祈願して堂宇を建立、奉納された鏑は神宝として今に伝えられています。……」とある。
 ただし役行者像などは祀っていないとのことであった。(2008/09)
明永山
熊野神社
 明永山熊野神社…秋田県横手市睦成字明永町10。 菅江真澄の『雪の出羽路』平鹿郡十二に基づいた由緒が、神社の扁額脇に額縁に入れて飾ってあった。
 「抑当神社の草創は神武天皇より四十代の帝天武天皇の御代、白鳳元年(紀元一千三百三十二年)壬申の七月七日霊宗神道の高祖役行者小角(小角の千年遠忌に勅ありて神変大菩薩と申す)の開基之。後人皇九十代帝御宇多院の御宇弘安九丙戊年八月十五日遊行一遍開蓮社上人円覚始めに巡国のとき役行者の仙跡を尋ねて此に三熊野神社を再建せり、亦秋田城之助成綱朝臣の代本社七間四面拝殿十二間に建号を明江山神宮寺、遍照院といひ三十六院の坊司あり、東三十三ヶ国の修験、入峯修行はみな此処にて勉めたりし事は遊行上人自筆の縁改にも見えたり一山開闢の時、産児の泣声せしかは泣子沢と云へるを今は鳴見沢とは云ふなり。此処を御沢と云ふ峯の内に日像月像とて岩に穴二つあり明江山と名付たり。…… 現在鎮坐の丸山は熊野神社祭礼の節足利将軍御代参の仮御殿の在りし場所なりと云ふ。
一、延宝八年(紀元二千三百四十年)申の二月明永山に再建
一、寛政十二年酉年(紀元二千四百六十年)元鳴見沢(熊野堂)に移転
一、天保十一年丸山(現在)に移転」 (2008/08)
圓浄寺  圓浄寺…秋田県横手市中央町6-14。真宗大谷派。 『横手市史叢書8・横手の仏像』(横手市史編さん室編集、横手市発行、2006年3月31日)によれば、横手市内の寺院の悉皆調査の結果として、役行者像は、圓浄寺が保有するもののみのようである。
 総高39.0㎝、寄木造、彩色仕上げ、彫眼。二鬼を従える。江戸時代後期。写真を見ると、ふくよかな顔をしている。右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像。 圓浄寺は上宮幼稚園の中にあるようで、入らなかった。(2008/08)
金峰神社  金峰神社…秋田県にかほ市象潟町小滝字奈曽沢1。奈曽の白滝に鎮座する金峰神社は、千年以上の歴史を持つ修験道の活動拠点で、開基は役行者と伝えられる。
 天武天皇の白鳳8年、諸国に悪病が流行し死ぬものが多かったので、小滝龍頭寺(後に龍願寺、龍山寺、金峰神社)を建てて祈願する事となり、役行者が勅を奉じて蔵王権現3体を祭りました。この地域では、羽黒修験、鳥海修験とならんで金峰修験として有名。
 宝物館に役行者の作といわれる蔵王権現の木像が展示されていた。
  (2002/08)
鳥海山  鳥海山…秋田県由利本荘市矢島町。
 秋田県側のコース、矢島から祓川の途中、二合目に木境神社すなわち開山神社。開山神社の下方に、石碑があって、中央に鳥海山大権現、その右に神変大菩薩、その右に前鬼と記されており、また左には、理源大師、その左に後鬼とある。(2002/08)
  山頂の堂の祭神は、もともとは役行者が祀った「鳥海山大権現」であったという。大物忌神社は大黒天を本尊とするが、もともとは七合目の鍋森に祀られていた。明治以降、「鳥海山大権現」が消滅して、現在に至ったという。(2005/08、2014/07)