役行者を巡る【山形】

役行者を巡る【山形県】
   Ⅰ 蔵王山 
   Ⅱ 金峰山 
   Ⅲ 出羽三山
   Ⅳ 朝日岳 
   Ⅴ 鳥海山 
Ⅰ 蔵王山
➀ 山形花笠まつり…山形市。
 「山形花笠まつり」の前日、山形市下宝沢の蔵王大権現で採火式と神事が行われる。蔵王権現は花笠まつりの守り神で、蔵王権現の山車が先頭。
② 蔵王神社…山形市大字下宝沢614。(2005/08)
 山形から熊野岳への登山口・宝沢口に蔵王神社(三乗院)がある。土蔵造りの蔵王神社には、高さ364cmの大きくりっぱな木造の下宝沢蔵王大権現が祀られていた。【写真】
 鳥居の前にある「蔵王大権現由来」の説明によれば、当社本尊、蔵王大権現は「朱鳥四年三月、小角五十七歳の時、出羽国羽黒に来り、近峯を遍歴、四月八日、当地刈田嶺に勧請したものなり、以来、刈田嶺を蔵王山と称」したという。また天平時代に、覚山が萬福山三乗院を開いたのが、蔵王神社の始まりであるという。
③ 蔵王山神社…山形県山形市大字上宝沢2762-1。(2001/05、2011/09、2012/07)
 白鳳八年(680)に不忘山に権現社を草創。朱鳥四年(690)に、役行者小角が金剛蔵王大権現を勧請して、刈田嶺に祀り、蔵王山と呼ばれるようになる。和銅元年(708)、熊野岳に熊野神社が草創される。昭和二十七年(1952)に、熊野神社が蔵王山神社に改名されたという。

 熊野岳山頂。蔵王山神社本殿の左後ろに、かすかな微笑みを浮かべている役行者の石像が祀られている。嘉永四年(1851)の銘がかすかに読みとれる。【写真】
Ⅱ 金峰山
金峰山(471m)…鶴岡市藤沢、鶴岡市高坂、鶴岡市青龍寺。(2005/08)
 金峯神社の案内板には、「金峯山の歴史は古く、天智天皇の時代(西暦六七一年頃)、役行者が山頂に金剛蔵王権現を祀ったのが始まりといわれ、金峯神社には多くの文化財が伝えられている。……」とあった。
 金峰山の中の宮まで車で行く。「金峰山博物館」には担当者が留守で拝観できなかったが、社務所でパンフレットを頂く。そこには「金峰山の歴史」について次のように記されている。
 「金峰山はその昔、蓮華峯とか八葉山などといわれ、また母狩山・鎧ヶ峯・摩耶山・湯ノ沢岳をふくめ五老峯とも呼び、また熊野三山になぞらえて金峰山・母狩山・摩耶山を「金峯三山」といって金峯修験の聖地であった。第三十八代天智天皇の十年(六七一)役行者(小角)の開基にして、山頂に「金剛蔵王権現」を祀り、……」

 さらにパンフレットによれば、枝宮(末社)の須佐之男神社には行者堂がある。金峰山奥駆け。順峰は金峰山から虚空蔵山、熊野長峰に至る。逆峰は摩耶山から母狩岳、金峰山。金峰山頂上から湯田川温泉まで一時間の下り。登りは一時間半。
 青龍寺金峯神社に『役行者絵巻』が伝えられているという。
 山頂に金峰神社(鳥海山龍頭寺蔵王堂)。途中に須佐之男神社。山麓の青龍寺(天台宗)は、白雉10年(671)に役行者開基、慈覚大師中興。
Ⅲ 出羽三山
➀出羽三山…山形県。
 もともとは羽黒山・月山・葉山を出羽三山とし、湯殿山はその総奥の院とされていた。その後一時は、葉山が鳥海山と入れ変わったりしたが、羽黒山・月山・湯殿山に定着。
 出羽三山の開山は、七世紀はじめ、崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除仙、能除大師)による。後(朱鳥四年三月)に、役行者が羽黒山で修行したといわれる。(2002/08、2005/08、2014/07)
②出羽三山歴史博物館…山形県鶴岡市羽黒町手向。
  博物館に、役行者像が展示されていた。2002年に見た時には、個人の所有によるものだという説明であった。
 「羽黒山開山堂・蜂子神社御開扉/出羽三山御開祖・蜂子皇子御尊像拝観」が行われた2014年には、次のような説明がなされていた。
 「役ノ行者坐像/奈良時代中期の代表的な修行者である役ノ行者は修験道の開祖とされている。第三十二代崇峻天皇の太子である蜂子皇子を開祖とする羽黒派修験道では、神仏分離以前も役ノ行者を安置し開祖の像とともに祀っていた寺院は正穏院のみであったと伝えられている。/正穏院は山上の五坊(宝前坊=宝前院・花蔵院=華蔵院・沢内坊=歓喜院・薩蔓坊=智憲院・空照坊=正穏院)と呼ばれ格式の高い寺で、秋峰の大先達をつとめる寺でもあった。この役ノ行者坐像は、正穏院住職であった正木澄順の子孫である正木氏より寄託されている像である」
 役行者像の両の手は、おそらく右手に数珠、左手に経巻を持っていたような様子である。細面で、切れ長の眼をしていて、開けた口には歯がのぞいている。真言を唱えているのだろうか。木造の倚像で、襟、裾、足元には金箔が残っている。
(2002/08、2014/07)
③羽黒山荒澤寺…山形県鶴岡市羽黒町手向。
 説明板には、次のように記されていた。
 1400年前に出羽三山の開祖、能除大師(蜂子皇子)が、月山、湯殿山へ赴く際、ここ荒沢で修行しました。湯殿山大権現である大日如来の和魂を地蔵尊、荒魂を不動明王としてまつり、不滅の清浄火が燈常火堂をこの地に建立しました。
 その後、開祖を慕い弟子の弘俊が草庵を建て、広沢寺と称しました。のちに役の行者、弘法大師、慈覚大師らもここで修行を積んだと伝えられ、羽黒山十大伽藍随一の寺となり栄えました。
 山伏の峰入口、八方七口のひとつ荒沢口は、羽黒修験道で特に崇敬される霊地で、この荒沢寺は羽黒山奥之院として修験者の大切な行場となっています。(2002/08)
④行者返し…山形県東田川郡庄内町立谷沢。山形県鶴岡市羽黒町川代。
 羽黒山から月山に向かう途中、「役行者が月山登拝の折、月山大神より修行未熟を悟され、羽黒山へ戻された地」と記した標柱があった。石窟には、丸彫りの役行者の石像が祀られていた。(2002/08)
⑤湯殿山…山形県鶴岡市田麦俣。(2002/08、2005/08)
 湯殿山神社本宮。役行者も修行をしたと言われている。
 「湯殿山のご由来」(湯殿山神社本宮)
 出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第三十二代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、……そして三本足の霊鳥の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現お御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山勧請して羽黒三所大権現と称した。
 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。……
Ⅳ 朝日岳
朝日岳…山形県西村山郡朝日町。
 「朝日岳の修験道場は役小角によって開かれ、奈良時代、鎌倉時代にはかなりの隆盛を見たというが、その後衰退し、現在は宗教的な痕跡はほとんど見られない。鳥原山には朝日嶽神社、大朝日小屋には奥ノ院があるが、いずれも明治時代、昭和年代に建立されたものである。」(『鳥海・飯豊・朝日』ヤマケイアルペンガイド3、山と渓谷社、2000年4月、82ページ)(2005/08)
Ⅴ 鳥海山
鳥海山…秋田県由利本荘市矢島町。
 【秋田県の役行者】参照。
蔵王神社の蔵王大権現 熊野岳の役行者