役行者を巡る【福島】

   Ⅰ 吾妻山
   Ⅱ 飯豊山
   Ⅲ 女神山
   Ⅳ 瑠璃光山医王寺
   Ⅴ 東聖山五大院
   Ⅵ 大内宿・三仏堂
   Ⅶ 高湯温泉・安達屋旅館
Ⅰ 吾妻山
 浄土平ビジターセンター「吾妻修験の時空間」のパネルの年表などによれば、吾妻山は、白鳳十四年(685)に役小角が開山し、大同四年(809)、空海が再興、天安二年(858)義円が唐松沢に遙拝所を建立成就院を草創し、中吾妻山の麓閼伽沢に吾妻山大権現を勧請して再興したという。
 天喜五年(1057)源頼義・義家が遙拝所宿坊を焼打、吾妻山を封鎖して参詣を禁じた(千年の木戸塞)。寛政七年(1795)諦信が唐松沢に遙拝殿を建立、吾妻山再興の願いが通り聖護院より令旨を受けた。文化元年(1804)には吾妻山を「国峯大霊場」として認めることとなった。
 明治初期の神仏分離令、修験道廃止令までは、山岳信仰の霊山として栄えた。明治六年(1873)吾妻山大権現を吾妻山神社に改名した。
➀一切経山
 役行者が信夫国(福島市)より登って、一切経山を開き、会津側の南に吾妻山白鳳寺を建立したと言われる。(2003/08)
②吾妻山白鳳寺遺跡…福島県耶麻郡猪苗代町大字若宮。
  浄土平から姥神石像に行き、谷地平に向かう。谷地平避難小屋を過ぎて、川を渡り、少し先の三叉路を北(谷地平)に向かう。そのすぐ先の左手に入っていく踏み跡をたどると、切り開きがある。白鳳寺遺跡である。
 左手に石碑があって、一番奥に「修験高祖/神変大菩薩開創/白鳳寺遺跡」の石碑(1940年建立)がある。役行者像が線刻されているようだが、定かでない。
 白鳳寺遺跡からさらに西に進めば、吾妻山神社に至るようだが、廃道になっていた。(2011/09)
Ⅱ 飯豊山
 山名については、この山に登った塔の知道和尚と修験道の祖である役の小角が、山容が豊かに飯を盛ったような姿であるため飯豊山と名づけたという伝承がある。
 また山頂の飯豊山神社は、役行者によって開山されたともいわれる。(2003/08)
Ⅲ 女神山
女神山は、福島県伊達市月舘町と川俣町にまたがる。(2015/10)
月舘登山口の説明板には、次のように記されている。

     名勝 女神山
 女神山は標高五九九メートル、小手五岳の最高峰で信仰の山として、山中にある名石(蛇石、釜石、東物見岩、西物見岩)とともに人々に親しまれております。
 本山は又、伝説の豊かな山で、役の行者小角が大蛇の化けた美女を法力によって打ち負かし、その蛇を神に祀る代りに里人に蛇の災を与えぬよう説いたところ、蛇はたちまち石=蛇石(蛇頭石)になったという話や、さらに、頂上近くでは熊野神社や五行神に会ったとか、前九年の役に、八幡太郎義家が木幡山にたてこもり、安倍貞任等と戦ったとき、遙かに女神山を望んで戦勝を祈願したとか、文治年間、源頼朝が奥州を攻めたとき、平泉藤原氏ゆかりの小笹姫がこの山中に隠れ住んだとかの話が伝  わっていますが、中でも小手姫に関するものが中心となるようです。
 小手姫は、崇峻天皇の妃で、天皇亡き後、実父の大伴糠手と皇女錦代媛とともにわが子蜂子皇子を尋ねてこの地まで来たところ、山腹に山桑の茂れるを見て里人に養蚕や機織りの技を教えられ、遂にこの地で亡くなり、遺体は女神山に葬ったと伝えられています。小手姫伝説は布川をはじめ、川俣にもあり、地域の人々によって今に伝えられてきております。
    昭和四十三年十一月十九日指定
             月舘町教育委員会
Ⅳ 瑠璃光山医王寺
 福島市飯坂町平野寺前45。真言宗豊山派。奥州三十三観音霊場番外札所。
 奥の細道みちのく路三十三霊場第二十七番。
 瑠璃光殿(宝物殿)の文化財になっている笈に、役行者が彫られているらしいという話を耳にした。2015年に医王寺を訪れた。瑠璃光殿(宝物殿)に弁慶の笈が展示されていた。ただし役行者が彫られているというが、よく分からなかった。(2015/10)
Ⅴ 東聖山五大院
 福島県福島市飯野町字町78。天台宗。
 五大院の前にあった飯野町教育委員会の説明板(平成十六年十二月)に、「五大院は今から約千三百年前(702年)の役行者開基とされています。」と記されていた。(2015/10)
Ⅵ 大内宿・三仏堂
 福島県南会津郡下郷町大内。
 大内宿の三仏堂に、不動明王が矜羯羅童子、制吒迦童子を両脇に従えて祀られている。向かって左に閉じられた厨子がある。厨子の後の板に書かれた説明には、三仏堂が昭和四十六年(1971)五月に建てられたこと、神変大菩薩、不動明王、孔雀明王が祀られていることが記されている。(2020/07)
Ⅶ 高湯温泉・安達屋旅館
福島市町庭坂字高湯21。
  約400年前、当主の夢枕に現れた行者(役行者のこと)のお告げにより、高湯温泉が発見されたとのことである。(2011/09)
 安達屋旅館のホームページ(2011/08)によれば、その歴史は次のようである。
安達屋旅館の温泉は慶長十二年、今から約四百年前伊達家の家臣、初代菅野三四郎が仙台城に赴く途中、鳥川の観音寺に立ち寄り宿泊したところ夢枕に一人の行者が現れ「武門を解き西の山に温泉を探し諸人のために尽くせ」とのお告げがあった、これはきっと私に課せられた天命と山中を幾日も探し歩いた所、大きな岩がある荒涼とした所にたどり着き、そしてその上に一人の高僧が存し「万来、万来お前が来るのを一千年も待っていた」と告げた、三四郎は「正にこの光景は夢枕に現れたものと同じであり、今こそ所願達成のとき」と経を唱えながら岩を取り除こうとしたところ不思議と金剛力が出て岩は砕け散り温泉が湧き出たのが始まりと言う古文書が残されており、薬師堂裏の当館の墓地にはその歴史を見ることができます。泉質は硫黄泉でその昔ここ信夫高湯は、蔵王高湯、白布高湯と共に奥州三高湯と呼ばれ、どんな病気でも三日入れば治ると言われた名湯です。