龍王山・旗振山・交野山・国見山

龍王山・旗振山・交野山・国見山・妙見山
 Ⅰ 津田・交野山・くろんど園地・獅子窟寺・河内磐船
 Ⅱ 龍王山・旗振山・交野山・国見山
 Ⅲ 星田・星田妙見宮(妙見山)・ほしだ園地・磐船神社・くろんど園地・獅子窟寺・河内森
 Ⅳ  星田・星田妙見宮(妙見山)・ほしだ園地・河内磐船
 Ⅴ 宮之坂駅・百済寺跡・機物神社・津田駅
 交野山(こうのさん)は、大阪府交野市大字倉治に位置する。標高は341mである。河内富士ともいわれる。交野三山(龍王山、旗振山、交野山)の一つに数えられる。大阪50山に選ばれている。
 龍王山(りゅうおうざん)は大阪府交野市大字寺と大字傍示にまたがる。標高は321mである。交野三山の一つ。
 旗振山(はたふりやま)は、大阪府交野市大字私部と大字傍示にまたがる。標高は344.8mで、三等三角点(点名は蓮花石)が置かれている。交野三山の一つ。
 国見山(くにみやま)は、大阪府枚方市大字津田に位置する。標高は284mである。
 妙見山(みょうけんやま)は、大阪府交野市星田9に位置する。標高は143.4mで、 四等三角点(点名も妙見山)が置かれている。星田妙見宮小松神社にある。
 交野八景とは、「交野山のご来光」「源氏の滝の清涼」「尺治の翠影」「かいがけの錦繍」「獅子窟の青嵐」「天の樟船渓谷の朝霧」「妙見の観桜」「星の森の寒月」をいう。その昔、白旗池には開元寺があって、そこを源流とする滝を元寺滝と呼んだ。それが源氏の滝の名の由来だという。
 枚方八景とは、「淀川の四季」「樟葉宮跡の杜」「山田池の月」「国見山の展望」「百済寺跡の松風」「万年寺山の緑陰」「香里団地の並木」をいう。
Ⅰ 津田・交野山・獅子窟寺・くろんど園地・河内磐船
2000年6月10日(土)(曇)単独(18~25℃)
 交野山は、生駒山地の北端の山。昨日が雨で、今日はなんとか雨は降らなかったが、厚い雲が一日中、空を覆っていた。そんな蒸し暑い天気だったので、登りは汗が噴き出した。
JR津田=11:25~11:26(75m)
かご池跡=11:30(70m)(25℃)
機物神社西門=11:37(65m)(25℃)
機物神社東門=11:43
  10人ほどのボーイスカウトの一団が
  出発するところだった。途中で先になる。
宣春院不動堂=11:56~12:01(115m)(21℃)
  源氏の滝を見て、戻る。
  後日、先に源氏の滝に行き、
  宣春院不動堂に行ってみた。
  すると滝の左下に役行者の石像が
  祀られているのが分かった。
堰堤=12:06(155m)(21℃)
  源氏の滝の上部の谷に入る。
  杉の木の香りがつんとする。
分岐=12:12(165m)(21℃)
  右、交野山山頂。左、白旗池・
  交野いきものふれあいセンター。
  右に向かう。
分岐=12:24(265m)(19℃)
  右へ。
分岐=12:29(320m)(19℃)
  左へ。
(おにやんまの小路)
交野山=12:31~12:52(340m)(19℃)
  341m。
  観音岩・交野山古代岩座址。昼食。
(大阪環状自然歩道・やまかぜの小路)
三宝荒神=12:53(340m)(21℃)
交野山ご来光道分岐=12:56(310m)(19℃)
  石仏の道分岐。
  石柱に「此付近岩倉開元寺遺跡」。
交野C・C分岐=12:58(305m)(19℃)
(せみしぐれの小路)
分岐=13:03(285m)(19℃)
(こげらの小路)
車道出合=13:09(285m)(19℃)
交野いきものふれあいの里=13:13
  ツアーの団体。
交野市野外活動センター=13:18(305m)
  (19℃)
  キャンプ場。
田んぼ=13:22(305m)(19℃)
  白い空木の花。
分岐=13:25
  左へ。
河内森分岐=13:28~13:29(260m)(19℃)
  ここから車道になる。左へ。
  右に天満宮の石の鳥居がある。
くろんど園地入口=13:33(290m)(18℃)
駐車場=13:39(300m)(19℃)
(くろんど管理道)
キャンプ場
八ツ橋=13:45(275m)(19℃)
くろんど管理道分岐=13:47(280m)(19℃)
(さわわたりの路)
くろんど池分岐=13:58(220m)(18℃)
  くろんど池ハイキングコース出合。
くろんど管理道出合=14:06(210m)(19℃)
すいれん池=14:09~14:14(210m)(19℃)
  案内所・休憩所。
(くろんど池ハイキングコース)
月ノ輪滝=14:35~14:38(110m)(19℃)
  金剛滝。役行者が開いた
  獅子窟寺の行場だったといわれる。
私市=14:53~14:58(80m)(21℃)
獅子窟寺=15:22~15:29(215m)(21℃)
  普見山獅子窟寺(フミザンシシクツジ)は、
  役行者の開基。
JR河内磐船=16:00(60m)(21℃)
   (03:47/04:34)
Ⅱ 龍王山・旗振山・交野山・国見山
2010年4月18日(日)(晴れ)二人(15~20℃)
 2月11日に旗振山、交野山、国見山を歩いた。それで生駒山の縦走で残ったのは、南部の高尾山から信貴山までの道となった。
 今回の山行は、それに少し足を伸ばして、交野三山(龍王山、旗振山、交野山)から国見山へと歩いた。
 3時間ほど歩いただけであったが、結構、疲れた。それにしても人が多かった。ただし龍王山では、登りで下山してきた単独の男性に出会っただけであった。歩く人は少ないようだ。
JR河内磐船駅(31.4m)=12:03(40m)
住吉神社=12:23~12:30(84m)(20℃)
  かいがけ道は、修験の道、熊野街道でも
  あったとの説明のある標識に従って、
  神社の右から入る。
  ここからもう行き交う人が数組いた。
(かいがけ道)
伏拝の辻=12:39~12:41(167m)(16℃)
  いくつかの伏拝の石碑がある。
野崎観音と二月堂伏拝=12:44(187m)
  (18℃)
能勢妙見大菩薩伏拝=12:47(213m)
  (18℃)
かいがけ地蔵=12:48~13:03(222)(17℃)
  広場の手前右に、思いもかけなかった
  行者堂があって、丸彫りの役行者の
  石像が祀られていた。役行者像は
  大峯山上奉拝を記念して祀られた
  ものであることが
  台座(文化十年二月)に記されている。
  右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像で、
  上品な様子をしている。
  広場中央にかいがけ地蔵尊、
  その右に南無阿弥陀仏の石碑(天明)、
  左に不動明王。また後方には
  宝暦、弘化の年号の石碑などが
  配置されていた。
  その後、龍王山への登り口である
  鳥居を見逃して、かいがけ道の終点に
  なる傍示集落の車道に出る。
  うろうろして人に尋ねたりして、
  鳥居に戻る。
  途中、登りには気がつかなかった
  磨崖仏の「ごみの木地蔵」を見る。
  10分ほどのロス。
龍王山登り口=13:18(226m)(19℃)
  鳥居。
広場=13:30(328m)(18℃)
  祠がある。
龍王山(321m)=13:32(335m)
  龍王石があり、その上に祠がある。
ピーク=13:33(333m)(16℃)
  右折する下山道から外れたピーク。
林道=13:39(297m)(15℃)
(傍示くろんど園地)
旗振山登り口=13:49(337m)(16℃)
  旗振山への表示。
旗振山=13:53~14:01(366→345m)
  (20℃)
  345.0m、三等三角点。
  昼食(パンとバナナ)。
旗振山登り口=14:04(318m)(18℃)
傍示くろんど園地ゲート=14:07(294m)
  (17℃)
  ゲートを出て枚方大和郡山線の車道を
  左へ。
  道が左にカーブするところで、
  まっすぐの山道へ入る。
  右には「交野いきものふれあいの里
  駐車場」がある。
こげらの道入り口=14:10(282m)(17℃)
(大阪環状自然歩道・こげらの道)
ゴルフ場分岐=14:14(313m)(17℃)
せみしぐれの道=14:17
  標識がに従って、交野山へ向かう。
  いくつかの赤い鳥居をくぐる。
三宝荒神=14:27(335m)(19℃)
交野山=14:29~14:32(345m)(21℃)
  341m。
  観音岩。交野山古代岩座址。
  この先は、国見山への標識に従って
  進む。
白旗池=14:44(243m)(19℃)
  いきものふれあいセンター。
簡易トンネル=14:48
国見山登り口
国見山=15:04~15:06(287m)(19℃)
  286.5m。
国見山登り口
  国見山登り口に戻って、
  スパバレイ枚方南(スーパー銭湯)に
  向かった。
  インターネットの情報では通行できない
  ということであったが、
  工事は終わっていて、問題はなかった。
夫婦岩標石=15:16(187m)(16℃)
配水池=15:21~15:22(162m)(18℃)
  枚方市国見山配水池。
  国見池。
  枚方テクノ・・・を通って、
  スパバレイ枚方南に向かう。
  津田駅への表示があったので
  最短距離で歩けたようだ。
  枚方テクノ・・・は、
  以前歩いたときは、空き地がまだ
  多かったが、空き地がなくなっている。
  第二京阪自動車道の高架を越えれば、
  スパバレイ枚方南である。
スパバレイ枚方南=15:35(100m)(20℃)
   (02:54/03:32)
 スパバレイ枚方南で汗を流し、JR河内磐船の大門酒造・無垢根亭で食事をして帰宅した。
Ⅲ 星田・妙見山・ほしだ園地・磐船神社・くろんど園地・獅子窟寺・河内森
2004年2月1日(日)(晴れ)二人(12~18℃)
 錯綜した道は、どうも神経を使う。
JR星田駅(40m)=11:57(42m)
  12時のサイレンの音が近くで鳴り渡る。
慈光寺=12:07~12:10(45m)(14℃)
星田神社
  予定していた道を少し間違う。
  地元の老人に道を聞いて妙見口に向かう。
星田妙見口=12:27(80m)(16℃)
  階段を上る。
星田妙見宮=12:35(122m)(13℃)
  回り込んで、三角点のある頂上に着く。
妙見山=12:40~12:41(148→143)(14℃)
  143.1m、四等三角点。
  眼下に町並みが広がる。
  下りは階段を避ける。
  下ると「登龍の瀧」である。
登龍の瀧=12:53(82m)(13℃)
昼食=12:58~13:08
  集会所のベンチで
  サンドウィッチを食べる。
星田妙見口=13:10(80m)(18℃)
  犬を連れた女性に
  ほしだ園地への道を尋ねる。
  丁寧に教えてくれた。
永徳寺分岐=13:25(130m)(14℃)
  太鼓をたたきながら、
  念仏を唱えている人がいた。
府民の森ほしだ園地入口=13:35(210)(13℃)
星のブランコ=13:40~13:50(184m)(12℃)
  交野吊橋。280mの長さ。
  この辺りは結構人が多い。
  星のブランコに寄り道。
  吊橋を往復して磐船神社に向かう。
わんぱく広場
やまびこ広場=13:57~13:59(228m)(13℃)
  230m。
大岩=14:08(169m)(14℃)
磐船神社=14:14~14:20(131m)(12℃)
  140m。
(きさいちゴルフ場)
  ゴルフ場を出るところで、
  舗装道路をそのまま行けば、すぐに
  くろんど園地に着いたのに、
  つい赤い布の目印のある山道に向かった。
  最終的には、左手の北の方角に
  向かえばいいことを確認しながら進む。
分岐
  赤い布が右手、東の方に付いている。
  とりあえずそちらに向かう。
  左の北西の方に道がカーブしていれば
  いいが、どんどん東に進む。
送電線鉄塔=15:01~15:03(302m)(15℃)
  その先も東に向かっていそうなので、
  引き返す。東に行けば、
  おそらく舗装道路に出て、
  くろんど池に行くことになるが、
  えらく遠回りになりそうだ。
分岐=15:08(285m)(15℃)
  右手に進む。そよかぜの路に出合う。
そよかぜの路
  左に下ると、すぐに管理道である。
くろんど管理道出合=15:15(219m)(15℃)
案内所・休憩所=15:16~15:21
  たくさんのハイカーが休んでいた。
すいれん池
  池を左にみて、すぐ先の右手に
  「草原広場」への標示がある。
  鉄の網のような鎖場から取り付く。
(そうげんの路)
草原広場=15:30(263m)(14℃)
こだちの路出合=15:33(279m)(14℃)
  T字路で、左は進入禁止になっていた。
  右のこだちの路へと記した標示に
  マジックで「ししく寺」とあって、
  方向が示してあった。
(こだちの路)
  その先のT字路で、
  二人のモトクロスの自転車に乗った
  男性に道を尋ねる。
  後ろから来る仲間が詳しいという。
  やはり標示にマジックで左方向が
  獅子窟寺であることが
  ひらがなで書かれてあった。
  少し先で、件の仲間の男性に聞くと、
  稜線沿いに歩いていけば、
  看板があるという。
  その先々でも、マジックで書き足された
  方向に進む。
  地図のどこにいるのかまったく不明。
  ただ標識があるので心配はないが。
送電線鉄塔=15:42(306m)(15℃)
  ここが318.8m地点だろうか。
  三角点がないので違うかも知れない。
木立の路・ミハラシの路=15:44(307m)
  (14℃)
  分岐。犬を連れた夫婦が休んでいた。
  左手の方に、獅子窟寺の標示が見えた。
  これが「看板」である。後は一本道。
岩場=15:55(285m)(14℃)
  ここから石仏が現れ、獅子窟寺まで続く。
獅子窟寺=16:00~16:10(220m)(12℃)
京阪・河内森駅
けんこう風呂・タイガース=16:40(55m)
  交野市私市2-43-5
    (04:04/04:43)
Ⅳ  星田・星田妙見宮・ほしだ園地・河内磐船
2019年3月23日(土)(曇り)六人(9~11℃)
 友人と6人でのハイキング。
JR星田駅(40m)=11:30
  南口から歩き出す。
  星田小学校の南側の道を星田公園へ。
星田公園=11:40~11:47(80m)
  西口から入る。旗掛け松跡。
  東口から出て、星田寺・星田神社を通る
  つもりであったが、道を間違う。
  星田小学校の北側にやって来て、
  道間違いに気づき、慈光寺に向かう。
慈光寺
  そして細い道を妙見口に出る。
妙見口
(桜並木)
  桜の開化にはまだ早かった。
妙見橋=12:19
星田妙見口=12:27
  階段を上る。
星田妙見宮=12:45~12:50(150m)(9℃)
  小松神社。
  回り込むと、
  妙見山(143.4m、四等三角点)と
  いうことであったが、分からなかった。
龍王社=13:01
星の池公園=13:10
  星田妙見川に沿って歩いたが、
  十方橋前で、行き止まり。
  星の池公園に戻る。
  通りかかった地元の人に聞くと、
  去年の台風で通れなくなったとのこと。
  星田妙見川の西側の道を教えてくれた。
園地入口=13:45~13:48(230m)(11℃)
  府民の森ほしだ園地入口。
やまびこ広場=13:50~14:25(245m)(11℃)
  東屋で昼食。風もあって、
  気温以上に寒かった。展望台を往復する。
展望台=14:30~14:35(255m)(10℃)
  戻る。
やまびこ広場=14:38
  吊橋に向かう。
星のブランコ南=14:45(205m)(9℃)
  交野吊橋。280mの長さ。
星のブランコ北=14:50~15:00
  少し先で、「ぼうけんの路」に入る。
ピトンの小屋=15:15~15:30(120m)(11℃)
  哮が峰。クライミングウォールがある。
  ハヤブサの巣があって、
  十人ほどの人が大きなカメラを
  構えていた。
  ハヤブサが飛び立つのを
  撮るのだそうであった。
ほしだ園地入口=15:41(90m)(9℃)
岩船橋=15:43(85m)(9℃)
日の出橋=16:05(65m)(10℃)
大阪市大附属植物園=16:07~16:10
  桜の開花もまだで、また入園するにしても
  閉園まで時間もなかったので、諦めた。
JR河内磐船駅=16:40(55m)(11℃)
    (03:47/05:10)
Ⅴ 宮之坂駅・百済寺跡・機物神社・津田駅
2019年11月3日(日)(晴れ)三人(20~20℃)
 H姉妹と三人で、百済寺跡周辺を歩いた。
宮之坂駅=09:02
  京阪交野線。
  左(北)へ向かい、交差点を右(東)へ。
百済王神社=09:11~09:30
  大阪府枚方市中宮西之町1-60。
  「百済王神社」については、項末尾参照。
  百済王神社の右隣に百済寺跡がある。
  枚方八景「百済寺跡の松風」。
  「百済寺跡」は国の特別史跡。
  大阪府内にある特別史跡は、
  ここと大阪城跡の二ヶ所のみ。
中宮病院東交差点
  右へ。
桜丘団地前交差点
村野浄水場北交差点
  右へ。「手造りうどん楽々」に
  寄ってみることに。
(県道18号線)
楽々=10:05~10:15
  11時開店。すでにかなり並んでいる。
  いつになるか分からないので、諦める。
  戻らずに、その先の出鼻橋交差点を左へ。
(県道7号線)
交野市図書館=10:39~10:49
  交野市歴史民俗資料展示室は休館。
機物神社=10:55~11:05
  源氏の滝へは、時間的に無理なので、
  JR津田駅に向かう。
津田駅(60m)=11:15(20℃)
    (01:24/02:13)
【百濟王神社】
 枚方市教育委員会の説明板(2018年)は、以下の通り。
  百濟王神社
 当社の創建時期については諸説ありますが、延宝九年(一六八一)の「寺社改帳」に社名が見え、当寺の地誌『河内鑑名所記』にも「百済王の宮」として登場することから、江戸時代前期には旧中宮村の氏神となっていたことがわかります。また、祭神は拝殿の扁額が示すように百済国王及び牛頭天王で、当社が元は、古代朝鮮半島にあった百済(六六〇年滅亡)国王の末裔、百済王氏の祖霊を祀る神社であったことを今に伝えています。(以下略)

 百濟王神社の説明(2013年9月)は、以下の通り。
(前略)
大和朝廷の臣下となり僻地の東北地方に赴任していた百済国宗家の子孫の集団が赴任地で金を採掘し、聖武天皇の大仏建立時に、黄金900両を献上した。その褒美として河内国(枚方市中宮)が与えられた。そして、この地に一族の祖霊を奉る氏寺として百済寺や廟を創った。
朝鮮半島を追われた人たちは、進んだ技術を持ち、それらで当時の日本社会に貢献し、日本国家に忠誠を誓い、日本人として社会に溶け込んで、朝廷の中で栄達していった。この地に"百済”という”名称”が今に伝わる由縁である。
この地に百済寺・廟を建て、渡来人として初めて、百済王(くだらのこにきし)という姓(かばね)を朝廷から賜った百済国宗家の子孫一族は、その後の詳細は不明だが平安中期以降、政治の中央の舞台から姿を消していった。(以下略)