龍田古道・三室山

三郷・龍田大社・三室山・金山媛神社・行者堂・河内堅上
2020年5月29日(金)(晴れ)二人(25~31℃)
【龍田古道】(たつたこどう)の説明は、項末尾参照。
【三室山】(みむろやま)は、大阪府柏原市大字雁多尾畑と奈良県生駒郡三郷町大字立野にまたがる。標高は137.0mで、四等三角点(点名も三室山)が置かれている。詳細については、項末尾参照。
JR三郷駅=10:21(40m)(29℃)
  標識(三室山←龍田古道→龍田大社)が
  あるので、それに従って、
  まず龍田大社に向かう。
神奈備神社=10:24~10:25(40m)(29℃)
  説明は、項末尾参照。
龍田大社=10:30~10:39(65m)(29℃)
  戻る。
神奈備神社=10:43
JR三郷駅=10:45
関地蔵=10:52(40m)(30℃)
  説明は、項末尾参照。
池=10:58(55m)(30℃)
  池を過ぎると、すぐに山の中に入る。
三室山=11:13~11:18(135m)(29℃)
  137.0m、四等三角点。展望台。
  説明は、項末尾参照。
  先客がいて、座るところがないので、
  ゆっくりできなかった。
龍田大社本宮跡=11:27~11:29(200m)
  (26℃)
龍田古道憩い家=11:33(225m)(25℃)
  桜の園4号園。
分岐1
  車道を右に少し進むと、
  左に入る道があって、
  その先に、標識が見えた。
  御座峰への道かと思い行ってみる。
  「亀尾宿行所小鞍嶺へ」「普賢寺跡」
  「葛城経塚28番経塚の跡」とある。
雁多尾ノ小鞍嶺=11:47~11:49(270m)
  (26℃)
  御座峰は分からず。戻る。
分岐1=11:58
  車道を南西方向に下る。
引き返し地点=12:02(210m)
  間違いに気づき、戻る。
分岐1=12:07(245m)(28℃)
  車道を、小鞍嶺の方向、
  北西の方にふたたび進む。
分岐2=12:11~12:15
  スマイルランドの管理棟。
  竜田古道の里山公園。
  暑くて少々うんざりしてきた。
  御座峰に行く気がなくなった。
  車道を南に下る。
  大阪府柏原市に入ると、
  龍田古道の標識がない。
松谷光徳寺=12:25
  寺の屋根が右手に見える。立ち寄らず。
柏原堅上郵便局=12:27~12:33(200m)
  (29℃)
バス停
金山媛神社=12:38~12:46(170m)
  (29℃)
  説明は、項末尾参照。
溜池=12:57(105m)(31℃)
金山彦神社=13:03~13:24(75m)(26℃)
  説明は、項末尾参照。
  池の側に休憩所があった。
  池を見ながら昼食。
  涼しくてゆっくりできた。
青谷寺=13:27
  廃寺のようだ。
行者堂=13:34~13:37(80m)(31℃)
  内部は見ることができなかったが、
  大峯山登拝供養碑に
  浮き彫りの役行者像があった。
  南下してきた道が、ここで東へ向かう。
JR河内堅上駅=13:45(45m)(31℃)
    (02:23/03:24)
【龍田古道】
 龍田古道は奈良時代に平城宮と難波宮を繫いでいた官道で、天皇の行幸や遣唐使・遣新羅使の往還にも利用された道です。法隆寺や平隆寺、龍田大社、竹原井頓宮や河内六寺、河内大橋などが道中に置かれていました。特に大和と河内の境にあたる山間部は龍田山と呼ばれ、多くの万葉歌にも桜の名所として詠まれたほか、平安時代には現在の大和川は龍田川と呼ばれ、紅葉の名所として親しまれていました。現在地の展望台を通る道は龍田古道の山間部を抜ける分岐ルートの一つで、龍田大社の管理地である三室山を抜ける通称「神降りの風道」と呼ばれる道です。磐座や御座峯などの龍田大社の祭祀に関連する神域を抜ける道となっており、柏原市の雁田尾畑・青谷にある金山媛神社・金山彦神社を通ります。
 この道以外にも最も標高差のない大和川沿いを通り地滑りの難所である亀の瀬を抜けるルートも確認されており、分岐ルートは竹原井頓宮跡のある柏原市・青谷で合流するようになっています。龍田古道は聖徳太子(厩戸皇子)が大陸との交流のため設置したことに始まるとも考えられ、大和川の水運とともに近世まで続く交通・物流の大動脈でした。(以下略)
  平成30年3月 三郷町・三郷町教育委員会
【三室山】
   歴史を彩る神の山
 ここ三室山は、信貴生駒連山の南端に位置し、龍田山の一部を指す。平成八年(一九九六)に制定された「金剛・生駒紀泉国定公園」の中にあって、万葉時代は三室山・龍田山として親しまれ、多くの万葉歌に詠われている。
 四季の風景にも恵まれ、春は山桜につつじ、そして若葉の楓、秋には全山黄葉し、その美しさに誘われ、多くの遊山客で賑わっていた。
 また、旧官幣大社・龍田大社のご神域でもあり、山中には龍田大社本宮跡の石碑も見られ、本宮の社殿が建てられていたとの伝承も残され、往時が偲ばれる。
 近くの林の中に入ると直ぐに、三郷町指定文化財の古墳「三室山二号墳・三号墳」が見られる。他に例の少ない「双墓双室」の方形墳である。
(以下略)
  平成二十五年三月  三郷町教育委員会
【神奈備神社】
 神奈備神社は龍田大社の末社で、神奈備とは神様が住む森と言う意味である。神南備、神名備、甘南備、神名火などの文字が使われているが、どれも「かむなび」と読む。山が平地に接する端山にある。
 各地にある神奈備で詠まれた万葉歌は二十二首あり、当地立野の神奈備も、三輪・飛鳥と共に有名で、数首の歌が詠まれている。
(以下略)
  平成二十五年三月  三郷町教育委員会
【関地蔵】
天武天皇在位の時代(六七三~六八六)、大和を中心にして、東国へは不破の関(岐阜)、中国へは吉備の関(岡山)、山陰へは石見の関(島根)、そして、難波へは龍田の関(奈良)が設けられた。これが日本四関と言われている。
この地蔵石仏は、通称「関の地蔵さん」と呼ばれており、龍田の関近くに祀られていたと言われ、水害などでお顔も破壊されているが、龍田関跡を示す貴重な資料である。
(以下略)
  平成二十二年八月  三郷町教育委員会
【金山媛神社】
  金山媛神社御由緒
御祭神 金山毘賣神
 当社は平安時代の延長五年に制定された延喜式神名帳に登載された式内社であります。
 御祭神金山毘賣神は、奈良時代和銅五年に書かれた古事記によりますと、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神様よりお生まれになったと記されてあります。
 この神様は元、嶽山の嶺に奉祀されておりましたが中世時代に今の場所に遷座されました。その間八大金剛童子社、俗に山王さん、天王さんとも穪されて来ましたが明治八年に今の社名に改められました。
 当地は古代より鉱工業の栄えた所と思われその守護神として奉祀されたのが始めではないかと思われます。全国最古の鉄工の守護神として、金属業、農土木産業、火に携わる事業に対する御神徳まことに威大であります。
 今も尚当地の氏神様としてその信仰は脈々と伝えられ毎年の例大祭日には町内の御旅所へと御神幸あらせられ華やかな賑いを見せております。
【金山彦神社】
  金山彦神社略記
御祭神 金山毘古神
 金山毘古神社はおよそ千数十年前(醍醐天皇延長五年)の平安時代に制定された延喜式神名帳に登載された式内社です。
 御祭神金山毘古神は、およそ千三百年前(元明天皇和銅五年)に太安万侶によって書かれた古事記によりますと、伊邪那伎、伊邪那美、二柱の神様よりお生まれになったと記されています。
 この神様は古代、嶽山の嶺に奉祀されておりましたが中世にいたり、今の場所に遷座されました。かつては山王権現、八大金剛童子社とも称されたこともありましたが、明治八年、金山彦神社と改められました。
 古代、当地の嶽山・竜田山を中心とする地域は製鉄業で栄えていましたので、製鉄の守護神として奉祀されたのがはじめではないかと思われます。北方の高地は製鉄を営むのに最も適した風が得られるところで、風神をお祀りしたと思われる風神降臨の聖地として御座峰が伝承されています。
 文化発展の上からこの地方の製鉄を考えてみると、鉄の重要性が増してきた弥生時代こうきより応神河内王朝に至るまで続けられ、多くの富を人々にお授け下さった御神徳は偉大なものがあります。この神様は火の神様との御関係が深く、炊事を司る婦人の健康と安全を、加えて近年では鉄工、金属業、農土木産業、金融業や火に携る諸事の安全と繁栄をお守りくださる神様でもあります。
 今も尚、当地の氏神様として、その信仰は脈々と受け継がれ、御神名、金山の名の通り黄金の山の如き富と幸福をお授け下さる事を信じ、各地より参詣する人々も多く、毎年の例大祭には、地車の巡行もあり、華やかな賑わいを見せております。
  柏原市・青谷 金山彦神社