| 役行者を巡る【京都市内】(1) |
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| 京都市 |
| 【北区】➀志明院、②菩提ノ滝、③神光院、④浪切不動寺、⑤清修院行者堂、⑥金閣寺、⑦西徳寺、⑧深泥池貴舩神社 |
| 【上京区】光源院行者堂 |
| 【左京区】➀三国岳・一の岩屋、②長谷八幡宮、③十王堂、④峰定寺、⑤鞍馬寺、⑥岩上地蔵尊、⑦小野神社、⑧赤山禅院、⑨山中の役行者(滋賀県参照)、⑩地獄谷不動院、⑪身代り不動堂、⑫乗願院、⑬行者の森、⑭瑞光院、⑮矢留鬼不動堂、⑯聖護院、⑰積善院準提堂 |
| 【中京区】➀役行者山、②役行者山の井、③水かけの行者さん |
| 【東山区】➀行者橋(一本橋)、②清水寺(音羽の滝)、③三十三間堂 |
| 【南区】光福寺、 |
| 【右京区】➀愛宕山、②空也滝、③行者庵 |
| 【伏見区】➀醍醐寺、②供水峠西の石仏群、③北向山不動院 |
| 【山科区】➀十禅寺、②四宮大明神、③法厳寺 |
| 【西京区】➀正法寺、②勝持寺、③金蔵寺、④樫原の役行者 |
| 【写真一覧】 |
| 京都市北区 |
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| ➀【岩屋山金光峰寺志明院】…京都市北区雲ヶ畑出谷町261。(2000/12) 桟敷ヶ岳の西麓に所在。志明院は、役行者が不動明王の示験により草創し、空海が再興した。中院洞窟・開山堂の右脇に、役行者の石像が祀られていた。【写真1】 京都市の説明は、以下の通りである。 志明院[しみょういん](金光峯寺)/岩屋山と号し、真言宗単立寺院である。一般に岩屋不動と呼ばれている。寺伝によれば、白雉元年(六五〇)に役行者が創建し、のち天長六年(八二九)弘法大師が淳和天皇の命により再興し、以来皇室の勅願所として崇敬が深く、天下の平和を祈願のため諸堂開扉の詔があり、この時「志明院」の勅願を天皇から賜わって以来これを寺号にしたという。度々兵火や火災にあい、現在の主要建物は明治以降の再建である。/本堂には空海の開眼と伝える不動明王を安置する。奥院である根本中院には菅原道真の手彫と伝える眼力不動明王を安置する。また境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じこめた所と伝承される護摩洞窟など修験道にちなむ伝承地が多い。また付近一帯には石楠花が多く、四月下旬に開花して美しい。 |
| ②【菩提ノ滝】…京都市北区鷹峰菩提。(2006/11) 大岩が切り開かれたところで、右下(南)に下れば菩提ノ滝である。そして左の大岩の上には、役行者、前鬼、後鬼の石像が祀られている。 鋭角的な彫りの石像で、役行者の顔の表情は、穏やかにほほえんでいる。台座には「宝暦十庚辰年五月吉日」(1760)の銘があった。【写真2】 |
| ③【放光山神光院】…京都市北区西賀茂神光院町120。(2012/01) 真言宗。本尊は弘法大師。 東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法の一つ。 境内の岩上に、役行者と不動明王の石像が祀られている。諭すかのような表情を見せている役行者像は、半浮き彫りの石像で、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。右奥に本堂がある。【写真3】 門前にある京都府の説明板は、以下の通りである。 ……寺伝によれば、建保五年(一二一七)に上賀茂神社の神主、賀茂能久が「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、当寺を創建したと伝えられている。寺名はこの由緒に因み、「神光院」と名づけられた。以後、密教の道場として栄えたが、天保年間(一八三〇~四三)に災火により堂宇を焼失した。明治一一年(一八七八)、和田月心により再興され、以後書院等が整備され、現在に至っている。/本堂に安置する弘法大師像は、大師が自ら刻んだものと伝え、「厄除大師」の名で知られている。…… |
| ④【赤坂谷光明山浪切不動寺】…京都府京都市北区衣笠赤阪町。(2010/02) 立命館大学前バス停から堂本印像美術館の東側の道を北上し、氷室道(バス道)に出会ってすぐ先に、身代不動明王の看板がある。さらに進むと、浪切不動寺、その先には不思議不動院(次項参照)の看板が出ている。 浪切不動寺の説明板には次のように記されている。 ……昭和三十年に至り当山剱動不動明王の夢枕に現われて曰く「四國浪切不動明王を当山にむかえ来て多くの衆生を助けよ」との御告げあり……。 すなわち四国八十八番結願所大窪寺の浪切不動明王との縁を持ったお寺である。浪切不動寺の本堂の右手、奧に滝の行場があって、左から役行者、不動明王、弘法大師の石像が祀られている。役行者の半肉彫りの石像は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚坐像である。目をかっと見開き、両足を開いた力強い姿をしている。【写真4】 |
| ⑤【清修院行者堂】…京都府京都市北区衣笠赤阪町1-1。(2010/02) 真言宗。 大北山大宝寺不思議不動院の案内書には、「……初代院主の酒井圓心師が難渋苦労している人びとを救済する為、不思議な利益を与えようとする願いから開山された寺院である。境内には本尊不思議不動明王をはじめ、霊験あらたかな八百萬の神仏が祀られ、寺域は誰いうともなく“不思議之谷の不思議さん”と呼び親しまれている」と記されている。 不思議不動院の北側の並びに天門院があり、天門院の本堂の左横を進むと、清修院行者堂がある。行者堂の内部に祀られている尊像は分からないが、境内の南側に、左から修行大師、役行者、不動明王、天将不動尊などの石像が祀られている。役行者の石像は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。【写真5】 |
| ⑥【金閣寺】…京都府京都市北区金閣寺町1。(2009/12) 臨済宗相国寺派。北山鹿苑寺。関西・神仏霊場会第九十三番。 弘法大師の作と伝えられる、石不動明王を祀る不動堂の右側の外壁に、大峰登山供養の板碑が掲げられていた。 |
| ⑦【西徳寺】…京都市北区平野桜木町。浄土宗。(2012/05) 「わら天神前」交差点の西南に、小北山八幡宮がある。その西側の鳥居辺り、南北に隣接している西徳寺の壁に、不動明王と役行者が祀られている。 役行者は丸彫りの石像で、右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。その足元の前鬼、後鬼は肉彫りである。役行者は、厳しさの中に、慈しみを含んだ優しい表情をみせている。【写真6】 |
| ⑧【深泥池貴舩神社】…京都市北区上賀茂深泥池町55。(2010/04、2010/09) 「深泥池の旧鞍馬街道には保元二年(西暦一一五七年)に、京の六地蔵の一つ、御菩薩池地蔵(現鞍馬口地蔵)が祀られ、室町時代には関所が置かれていた。/当神社の御祭神は高龗神と申し上げ、雨水を司る龍神で、古くから鞍馬山麓の貴船に鎮座せられる貴船神社の分社として、深泥池の農民によって、勧請したものである。……」(石碑に記された「深泥池貴舩神社の由来」より) 本殿の後、左手(北西)に、役行者二体が祀られていた。二体とも、おそらく右手に錫杖、左手に経巻を持った丸彫りの倚像であるが、風化、破損が進んでいる。深泥池貴舩神社の少し南に、深泥池地蔵がある。【写真7】 |
| 【京都市上京区】 |
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| 【相国寺光源院行者堂】…京都市上京区相国寺門前町。(2007/06、2011/08) 臨済宗相国寺派。 池田輝政が母のために相国寺善応院を創建。明治18年に廃寺となった善応院を光源院が合併し、善応院のあった現在地に移った。 行者堂がある。山門前には石碑があって、役行者が祀られていることを示している。相国寺信心教社第一号連山組が毎年6月に、大峰山に入峰しているという。 行者堂の右に奉三拾三度供養碑の一部が残されている。行者堂内には「神変大菩薩」の扁額がかかっている。厨子は閉じられているので、詳細は分からないが、役行者像が祀られているようだ。 |
| 【京都市左京区】 |
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| ➀【三国岳・一の岩屋】…京都府京都市左京区久多上の町。(2009/10/31) 京都府立大学久多演習林管理舎から三国岳山頂に向かうと、途中に三つの岩屋がある。 一の岩屋には不動明王と役行者が祀られていて、二の岩屋、三の岩屋には不動明王が祀られているという。 広い一の岩屋の奧に、左に不動明王、右に役行者の石像が祀られている。岩屋に安置されているからか、あまり風化をしていない。(高肉彫りの)役行者は、右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。面長で、優しい笑みを浮かべている。足元に前鬼、後鬼を従えている。【写真8】 |
| ②【長谷八幡宮】…京都市左京区岩倉長谷町1117。(2012/01、2014/09) 「長谷八幡宮由緒」によれば、社名は八幡宮、祭神は惟仁親王、仁徳天皇で、創建は天安元丑年(857)である。細部については、文字が消えかかっていて読めない。末社は、蛭子社、蔭山社、疫神社、蔵王社、稲荷社、神明社、春日社、山王社、梅宮社、鴨皇神社、□□社である。 長谷八幡宮本殿の裏、東西に流れる小さな沢の向かいに、石祠があって、役行者、後鬼の丸彫りの石像が祀られている。役行者は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像で、角張った顔の作りであり、正面をきっと見据えた表情をしている。水瓶を持った後鬼は、頭部が欠けている。台座には、大峯山上、安永三甲午年四月(1774)、長谷川講中の銘がある。またその前には「奉納・叡和講」「大峰修行供養塔建立記念」と彫られた花立がある。【写真9】 また長谷町(朗詠山長源寺)から寒谷峠・瓢箪崩山に向かうと「飛騨池」があり、その少し先に「聖護院門跡長谷廟所」がある。石柱の後ろには、平成二十五癸巳年一月吉日とあって、廟所は整備の途上にあるようだ。 |
| ③【十王堂】…京都市左京区岩倉西河原町。(2010/09) 十王堂橋の西詰北。 「地獄の十王を祭っていたお堂が残る。十王像は現在は是心寺に祭られている。その昔この岩倉川を三途の川に見立て、葬列が渡り、先にある惣墓(集合墓地)に向かった」(「近隣歴史散策地図」実相院の中にあった周辺案内図の十王堂橋の説明)。 現在は、堂内に役行者の石像が祀られている。右手に錫杖、左手に経巻を持った丸彫りの倚像である。堂前の石灯籠は、岩座組による大峯山三十三度登拝供養、明治三十三年のもののようだ。【写真10】 |
| ④【大悲山峰定寺】…京都市左京区花背原地町772。(1999/06) 天台宗。聖護院の直末寺。 850年前に、大峰熊野の修験者、三瀧上人観空(西念)によって創建された。大悲山は大峰山に対して北大峰とも称せられ、古来より修験道の修行場となっている。 堂谷晩鐘の後ろに、苔むした役行者の浮き彫りの石仏、行者堂には役行者像が祀ってあるとのことであったが、確認できなかった。また行場の鐘掛岩には、裸の行者像が祀ってあるとのことであるが、行場は立入禁止になっている。 |
| ⑤【鞍馬寺】…京都市左京区鞍馬本町1074。(1995/06~2010/04) 鞍馬弘教総本山。 本尊(尊天)は千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊。 神峰山寺縁起では、役行者が得た霊木で、水神・金毘羅童子が四体の毘沙門天を刻み、一体は神峰山寺に、残り三体は飛び去り、それぞれが鞍馬寺、信貴山朝護孫寺、本山寺の本尊となったという。 |
| ⑥【岩上地蔵尊】…京都市左京区鞍馬本町。(1995/06、2004/06) くらま温泉の前に岩上地蔵尊の祠があって、その右に半肉彫りの役行者の石像が祀られている。足下には前鬼、後鬼が控えている。役行者は、真剣な表情をしている。前鬼、後鬼も同様だが、どこかユーモラスに感じる。【写真11】 |
| ⑦【小野神社】…京都市左京区上高野西明寺山町34。(2008/01) 叡山電鉄三宅八幡駅下車。 駅前に案内板がある。崇道神社の参道を進むと石段の下、右手に小野神社がある。小野神社の左手に行者之滝があり、右手に石祠があって役行者の石像が祀られている。石祠の前の石灯籠には神変大菩薩と彫られていて、その後ろには寛政十二庚申年(1800)の銘がある。【写真12】 |
| ⑧【赤山禅院】…京都市左京区修学院開根坊町18。(2006/12、2017/06、2019/04) 天台宗修験道総本山管領所。本尊は赤山大明神。 雲母不動堂に、役行者の木像が本尊・雲母不動明王の左に祀られているようだ。すすけているようで、よく分からないが、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像のようにみえる。境内に新羅大明神も祀られている。 |
| ⑨【山中の役行者】(滋賀県参照) |
| ⑩【地獄谷不動院】…京都府京都市左京区北白川地蔵谷町1-244。(2007/07) 真言宗醍醐派。 北白川山地獄谷不動院。不動温泉にある。 不動堂の堂内に不動明王の木像が祀られている。その左に役行者、右に理源大師の画幅が祀られている。また右手に弘法大師の木像が祀られている。 |
| ⑪【身代不動堂】…京都市左京区北白川仕伏町。(2007/07) 北白川身代不動尊。 修験宗総本山聖護院門跡神変講社山田講。 1992年に造像200年慶讃法要が執り行われたという。不動明王の左に、役行者の石像が祀られている。その足元には斧を持った前鬼の石像が祀られている。 |
| ⑫【霊芝山乗願院】…京都市左京区北白川仕伏町。(2007/06~2019/09) 浄土宗。 北白川仕伏町バス停から東に向かい、突き当たりのすぐ左に乗願院がある。 その山門前、右にお堂があって、半浮き彫りの役行者、前鬼、後鬼の石像が祀られている。役行者像は、厳しいが、端整な顔立ちをしている。右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。役行者の右に不動明王、左に弁才天が祀られている。【写真13】 京都市の説明板は、以下の通りである。 乗願院 浄土宗に属す。 寺伝によれば、もと延暦寺の支坊であったが、元亀二年(一五七一)、織田信長の比叡山焼討ちの際に焼失したといわれる。 しかし、慶長十三年(一六〇六)に信誉上人によって再興され、それ以後、江戸時代を通じて、照高院(後の北白川宮)の御霊所となり、照高院四代通寛法親王によって乗願院山が寄進されるなど数々の保護が加えられた。乗願院山には、照高院の墓地があり、寄進以降は当寺が管理することとなった。 本堂は、もと上賀茂神社境内にあった神宮寺観音堂をを譲り受け、明治二年(一八六九)に移築したものである。日光や風雨を防ぐための戸である□は珍しいものであり、蛙股の彫刻ほか寛永期(一六二四~一六四三)の建築物の特徴がよく見られる。明治に至って照高院は廃絶したが、通寛法親王らの位牌は、現在に至るまで当院にて安置されている。 |
| ⑬【行者の森】…京都市左京区銀閣寺町。(1999/03~2011/10) 銀閣寺の北側、大文字山参道の登山口に、行者の森があって、神変大菩薩の石祠に、優しげで端正な役行者の浮き彫りの石像が祀られている。【写真14】 |
| ⑭【瑞光院】…京都市左京区鹿ケ谷徳善谷町4-41。(2012/02、2015/05) 高野山真言宗。本尊は浪切不動明王。 開山は1954年で、2014年に60周年を向かえた。瑞光院のすぐ先には、「俊寛僧都旧跡道」の石柱があって、そこから山道を登ると、楼門の滝、俊寛僧都忠誠之碑を経て大文字山へと向かう。京都一周トレイル東山コースの標識「東山47-2」の地点である。 二度目に行った時に、縁起が記された案内板があるのに、気がついた。 「鹿ヶ谷山徳善谷/浪切不動尊縁起/當所鹿ヶ谷山徳善谷に鎮座まします浪切不動尊の御本體は高野山は別格本山南院に安置奉る弘法大師一刀三礼の御作になる霊尊であります/大師仏法修行の秋留学を了へ唐土より御帰朝の砌海上に立ち荒れ狂う浪風を切り払い大師の一命を御加護されたる御方であります/往時天慶将門の乱を平定後御劔を尾張熱田の宮に留め弘安元寇の役には九州志賀の里の敵前に護摩を修して火焰を彼地に遺し醍醐大峯の霊峯を拓き建武の中興明治御維新の大業を完成する等其の靈験は数うるに遑がありません不動尊は常に汗膏にまみれ我々と労苦を共にされ全身に火焰を吹き出して罪障災厄を焼き盡し給う未来浄土の佛にあらず現世焦土救済の御本尊であります殊に浪切不動尊は我等心中の迷妄を切り払い其の御利益は日々に現證され其の御威徳は恒に新たであります/昭和二十九年十一月二十八日吉晨を卜して御縁の許に御分霊の勧請奉斎を致しました/以上/高野山派/真言宗/瑞光院」 護摩壇の浪切不動明王に向かって左に、役行者を祀った石窟があり、小ぶりな役行者の青銅像が祀られていた。倚像で、左手には数珠が掛けられていた。痩身で、きびしい修行を偲ばせる表情をしている。【写真15】 |
| ⑮【矢留鬼不動堂】…京都市左京区鹿ケ谷徳善谷町。(2012/02、2015/05) 瑞光院を下ると、すぐ先に矢留鬼不動堂がある。本尊は、小さな木像の神変大菩薩役行者で、正面の厨子に祀られている。倚像のようで、右手には新しい錫杖が掛けられていた。役行者の左には不動明王など、右には弘法大師、お釈迦さんが祀られている。 |
| ⑯【聖護院】…京都市左京区聖護院中町15。(2000/04、2006/12、2009/12) 聖護院門跡。森御殿。本山修験宗総本山。 本尊:(銅造)役行者半跏像・前鬼後鬼坐像(元禄八年[1695]、出羽守政常作)(『役行者と修験道の世界』毎日新聞社、1999年、18、206頁) (画像)役行者前後鬼・八大童子像(絹本着色、南北朝時代)(同上、22、208頁) 社務所二階に、平安時代の作という不動明王の右に、昭和時代の作という役行者と前鬼、後鬼の木像が祀られていた。また修行で持ち運びのできる小さな役行者と前鬼、後鬼の木像が祀られていた。(2000/04) 社務所二階に、阿弥陀如来の右に役行者と前鬼、後鬼の木像が祀られていた。元禄八年に作られた銅造のものと同様の姿に作られたものである。(2006/12) 京都市の案内板には、聖護院について、次のように記されている。 聖護院/本山修験宗総本山の寺院である。/平安時代の寛治四年(一〇九〇)に、白河上皇が紀州(現在の和歌山県)の熊野三山を参詣する際、修験者(山伏)として有名であった増誉大僧正が、先達(案内役)を努めた功績により寺を賜り、聖体護持の意味から聖護院と名付けたという。修験道とは、日本古来の山岳宗教と、仏教の密教、道教などが結び付いて平安末期に成立した宗教で、役小角を開祖とする。/応仁の乱をはじめ、度重なる火災に遭い、各地を転々とした後、延宝四年(一六七六)に再興されたのが現在の主な建物で、書院(重要文化財)は京都御所の御殿を移したものである。天明八年(一七八八)と安政元年(一八五四)の御所の炎上に際し、光格天皇と孝明天皇が一時、仮皇居として使用したため、「聖護院旧仮皇居」として、国の史跡に指定されている。 また文部省の「史蹟聖護院旧假皇居」の「説明」は、以下の通りである。 本山修験宗の総本山であって延宝年間烏丸通今出川の地から現地に移され本堂書院宸殿庫裡等が造営された。/天明八年正月三十日京都御所炎上の際光格天皇は當院に御避難され寛政二年十一月二十二日迄假皇居となった。次で安政元年四月六日御所炎上の際孝明天皇は皇子祐宮(明治天皇)と共に御避難同月十五日まで御滞在された所であってよく旧規模を有している。その故に昭和十一年史蹟として指定された。 |
| ⑰【積善院準提堂】…京都市左京区聖護院中町14。(2009/12) 聖護院門跡塔頭。聖護院の東隣。 積善院準提堂で頂いた『積善院準提堂略観』には、次のように記されている。 ◆由緒沿革 積善院は代々山伏を統轄した聖護院門跡の院家として鎌倉初期に開創された。/聖護院が地方山伏に対して行う事務を代行してきた寺で、本山派山伏の筆頭寺院に当る。/明治初年、現在の熊野神社交差点南東角にあった準提堂と合併し大正三年、現在の地に移転した。 ◆現況 現在の寺院は準提堂を本堂とし、ここに本尊の準提観世音菩薩と、旧積善院本尊の不動明王の二躰を合祀しており、その西側の元積善院本堂には、役行者像並びに阿弥陀如来等を祀っている。/その他境内には旧聖護院村当時の各所に祭られてあった石地蔵五十一体を合祀し、また浄瑠璃で有名な、お俊伝兵衛心中の供養塔も建立されている。/その他、寺宝として「準提観世音菩薩」「不動明王」「崇徳院地蔵」「お俊伝兵衛供養塔」の説明、五大力尊法要についての説明が記されている。 境内の西側に行者堂があって、その中の厨子に、岩窟の役行者を中心にして、その周囲を蔵王権現、前鬼、後鬼が彫られた木像が祀られていた。役行者は右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。またそのすぐ左横に、小さな木像の阿弥陀如来と、さらに小さな蔵王権現が祀られていた。 |
















